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2013年7月12日(金) 西宮道場
2013年07月14日(日)
合気道を始めたころには全く分からなかったことで、

最近になって少しずつ分かるようになったことがあります。

そのひとつに、先生が前で演武をされているときに、

目で追いかけるのではなく、体感を揃えていく

というのがあります。

先生の筋肉の張りだとか、畳の踏みしめ具合だとか、

受けから伝わってきている、受けに伝えている触感とか、

そういったものを自分の中に再現しながら見る。

そんなことを言われても、

ほいっとできるほどのセンスなどないので、

いったいどうすればそのようなことができるのか

見当もつかないままでしたが、

お稽古を重ねるにつれ、何となくそんな感じというのが

少しずつ育ってくるというか、養われてきたように思います。

そうなってきたのは、

始めてすぐのころから先生の言葉を聞いていて、

そういうものなのだ、というのがずっと残っていたからこそ、

種がまかれていたからこそ、芽が出たように思えるのです。

本筋を示してもらえる、というのがどれほど大事なことか。

そんなことを噛みしめつつ、

日々のお稽古に臨みたいと思うのです。
2013-07-14 19:56 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2013年7月11日(木) 王子道場
この日のお稽古では「流れ」を意識しました。

いつもは手順や技のポイントを中心に説明するため、

点をつないだような技になってしまいがちです。

技の勘どころ(質の転換点)というのがあり、

また流れの濃淡のようなものはあるのですが、

全体の流れは一続き、一息になります。

その流れは、取りが生みだす(汲みだす)ものであり、

始まりと終わりは無限遠にあるように思います。

取り受けともに、

その流れを邪魔しないような身体運用が必要で、

そこで大事になってくるのが、足踏みです。

足踏み、つまりは方向も含めた空間的な位置取りです。

足踏みは視覚的な感覚ではなく、

皮膚感覚によって決まってくるもので、

そういう感覚を養うためにお稽古をしています。

そのような感覚が鋭いか鈍いかは、

礼をするときに並んだり、円になったり、

体操をするときに道場に広がったりするときに

よく分かります。

人数が多いときに前後に重なって体操していたり、

後から人が増えてきても、最初にいた位置に留まり続けたり、

それは、その場に生じている濃淡を感じて、

それが気持ちよく整うように動くということができない

ということで、

なんというか極端に言うと、致命的なことのように思えます。

などと書いているわたしも、鈍いです^^;

少しでもそういう感覚が養っていけるよう

そこを意識してお稽古を重ねていこうと思います。
2013-07-14 19:06 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2013年7月10日(水) 尼崎道場
この日のお稽古でやった天地投げでは、

地に向かって伸ばす手の使い方の説明で、

「少し向こうに落ちている何かを拾うつもりで」

という表現を使いました。

最近の凱風館でのお稽古でも内田先生が

「外部化」の比喩を使われていますし、

昨日(7/13)の韓氏意拳の講習会でも「内を見ない」

ということが言われていました。

そうすることによって、何が起こっているのか

分からないのですが、

そうすることによって明らかな違いが出ます。

他にも、なんでそんなことを?ということがあるのですが、

それを素直にすっとやってみようとすることが大事です。

気持ちの柔らかさというのでしょうか。

気持ちの柔らかさが、動きの柔らかさにつながります。

身体の詰まり強張りは、気持ちが作り出していることが

多いのではないかと思っています。

わたしたちは、身も心も開放できるようなお稽古を

目指しています♪
2013-07-14 18:48 | 記事へ | コメント(0) |
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