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「何のためにお稽古するのか」
2014年11月22日(土)
こんばんは、大松です。

実はここのところ、定期的に訪れる、
「お稽古してもしても、なかなか上達しないなぁ > <」という
負のスパイラルに陥っておりました。
そんな時は
「一体自分はいつもお稽古で何をやっているんだろう」とか、
「そもそも何のためにお稽古やってるんだろう」というようなことを
よく考えます。
さらにはなかなか上達しないことを憂いて、
それを何とか肯定するため、
“体術がすぐに上達しなくても良い理由”なども考え始めます。

この状況、いつもよりも深く合気道と向き合えていると
言えるかもしれませんので、たまには負のスパイラルに陥るのも、
悪くありませんよね(無理矢理 笑)。


そして気がついた、「体術がすぐに上達しなくても良い理由」。


技って、なかなか上手くなりません。
教わった事がすぐに出来てしまう勘の良い方もいらっしゃいますが、
私の場合はもともと鈍臭いので、基本技も何度も何度も練習して、
手順を覚えました。
もちろん、とりあえず手順がわかっているということと、
そこから先、技が磨かれて行くこと、洗練されて行くということとは、全く意味が違います。

技の上手い下手を言うのはその時点で技の表面的な出来の善し悪しに
居着いてしまうので良くないことと思いますが、
それでもあえて言うならば、技が出来るようになる時というのは、
きっと技以外の「何か」が少しでも出来るようになったとき、
技もそれに比例して、気付けば少し上達しているのだろうと
思いました。
その「何か」を出来るようになるために
私たちは日々お稽古をしていて、
それは24時間お稽古と言われる所以でもあるなぁと、思いました。

その「何か」。例えば、
・相手を、そして自分の心の準備ができるのを
 静かに待てるようになること
・自然である心と体の使い方、すなわち無理のないこと
・透明な心で物事と向き合うこと
・目先のことにとらわれない、観の目を養うこと
(『観の目強く、見の目弱く』と言われますね)


すなわち、心のありよう。


道場でいつも言われている事でした。
いつも言われていながらも、
こちらが受け取る準備が出来ていないと
なかなかそれに気付かないものです。
受け取る準備が出来たとき、やっと初めて入って来る。
「もしかして。。。」
それが「気付き」だと思います。

今日はとても良い事に気付けた気がするので、
このスパイラルから脱して、来週からまたお稽古に専心できそうです(笑)。
2014-11-22 23:32 | 記事へ | コメント(0) |
本質(2014年11月19日(水))
2014年11月19日(水)
この日のお稽古は尼崎でした。二部制。

身体の正面で仕事をするとか、

全身の詰まり強張りをなくすとか、

そのためには足踏みが重要でとか、

あとは、技の手順であったり、術理の話であったり、

もちろんそれぞれがそれぞれに大事なことで、

そういったことを一つ一つ丁寧に確実に

やっていくしかないのですが、

では何が本質なのか、という問いを常に失わないように

いたいと思っています。

言ってしまえば上にあげたようなことは、

表面的なことに過ぎません。

本質に近づくためには、現在の自分の状況に向き合い、

その上で何をすればよいか、

どちらの方向へ向かえばよいか、

感じながら動くことが必要なのだと思います。

それができるようになるためのお稽古をしている、

という言い方もできるかもしれません。

見失わないようにしたいです。
2014-11-19 22:34 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 / つれづれ |
人が纏う空気(2014年11月14日(金))
2014年11月15日(土)
この日のお稽古は西宮でした。

触覚を敏感にするお稽古をよくやります。

相手と触れることによって、

びっくりするくらいいろいろなことが分かります。

そして、直接触れなくても

やっぱりいろいろなことが分かります。

そうしたことを感じ取れる人と、

そうでない人がいて、

あるいは感度の差があって、

感度の高低もまた、感じることができます。

お稽古を重ねることによって、

感度が高まるように思うのですが、

感度が高くなりやすそうな人と、

なかなかたいへんそうな人がいて、

それもまた感じられます。

それでもお稽古を重ねることによって、

(そうしたお稽古であれば)

確実に感度は高まっていきます。

それはすなわち、

生き残るための力であろうと思います。

この記事を読んで、ピンときた方も、そうでない方も、

ぜひ合気道のお稽古をやっていただきたいなと思います。

わたしが何を言っているか、

分かっていただけると思います。
2014-11-15 02:33 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 / つれづれ |
清々しさ(2014年11月13日(木))
この日のお稽古は、王子と加古川でした。

空間には濃淡が生じます。

王子のお稽古では、後ろ両手取りをやりましたが、

後ろ両手取りでは特に、受けが後ろに回り込むため、

視覚のみに頼ることはできません。

何を感じるかというと触覚ですが、

相手と触れていなくても、

空間の濃淡は感じることができます。

濃淡以外にも、明暗や色彩、温度、質感などを

感じることができるかもしれません。

そうしたものは心身から発されるものであり、

また心身に影響を及ぼします。

お稽古ではそれを敏感に感じ取れるように、

感度を高めることが要求されます。

ですから、例えばわたしが悪いものを発していれば、

何が起こるかは推して知るべしです。

道場を清浄な空間に保ちたい、

愉快な気に満ちたものにしたい、

切に願うことです。

願うだけでなく、そのためにエネルギーを使うことを

厭うことのないようにしようとあらためて思う

この何週間かです。

晴れ晴れと清々しくお稽古できるよう

意を決しています。
2014-11-15 01:38 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 / つれづれ |
ご縁に感謝(2014年11月12日(水))
2014年11月12日(水)
この日は尼崎でのお稽古でした。二部制。

愛知県の大学でサッカー部の監督をされている方が

見学にみえました。

一部が終わった後に、お話をさせていただいたときに感じたのは、

まずは、考え方がとても合気道的な方だということ。

そして、感想をお伺いしたところ、

今は言葉にはできないという意のことを仰られて、

それも凄いと感じました。

おそらくは、短時間では頭で処理しきれないほど多くのことを、

身体で感じ取られたのではないかと思うのです。

よほど開かれた心と身体でないと、

そのようなことは起きないのではないでしょうか。

その後も二部の最後まで、

つまりは計4時間近くも熱心にお稽古を見てくださって、

随分多くのものを受け取ってくださったようでした。

お稽古後は、残念ながらご一緒できなかったのですが、

今回その方を案内してくださった

うちの廣田さん(合気道的サッカー指導者です)と、

長時間にわたって語り合われたようで、

そこでのお話や、大学に戻られてこの後どうされたのか、

次にお会いしたときに、お話しできることを楽しみにしています。

前記事でも書きましたが、

合気道的な方とお話をさせていただいたり、

そういう方と体験稽古などで一緒にお稽古させていただくと、

われわれの合気道も洗われていくのを感じます。

今回も得難い体験、時間でした。

ありがとうございました。
2014-11-12 23:01 | 記事へ | コメント(0) |
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