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2014年7月10日(木) 王子道場・加古川道場
2014年07月11日(金)
受けが大事、受けのときにたくさん学ぶ、など

何度も繰り返し言っていて、

具体的にどうするのかということにも

お稽古で触れてはいるのですが、

どうしても取りのときにどうするのかというほうに

目がいきがちなように見受けられます。

まずは、取りのとき以上に、

受けのときに集中してやってみてはどうでしょうか。

というより、

実際に受けのときのほうが集中が必要です。

取りは動きを主導する立場にありますが、

受けはそれに応じて動く側で、

つまりは先が見えない中で動かなければなりません。

先回りして動くのは、先受けといって、

お稽古では、やる技が決まっているから何事も起こりませんが、

本来は非常に危険なことですし、

取りの人の気づきや発見の妨げになります。

基本は、気の結びを正中にとらえ、

詰まり強張りができないように動く、

ということになりますが

(これ、取りのときも同じです)、

具体的にどうするかは、お稽古中の話を聞き、

いろいろ試行錯誤して、分からなければ質問し、

ということを繰り返して習得してください。

お稽古の優先順は、受け、取り、教える、

だと思っておいてもらえばいいでしょう。

教えることはよい稽古になりますし、

相手が困っているなら、しっかり教えてあげて欲しいですが、

そのときも受けが疎かにならないよう

いつも以上に注意してください。

どうぞ自分のお稽古を大事にしてください。
2014-07-11 00:02 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2014年7月9日(水) 尼崎道場
2014年07月09日(水)
この日のお稽古は一部のみ。

流れの中で受けに手を取らせることがテーマでした。

手は取られるのではなく、取らせる、とよく言われます。

取られると取らせるとの違いには、

もちろん物理的な違いもあるでしょう。

手のどの位置をどの角度で取らせるか、

取らせた位置と自分の身体、相手の身体との位置関係、

その違いによって、自分の力の出しやすさ、

相手の力の出しやすさが変わってきます。

自分が有利になるなら、それは取らせたと言えるかもしれません。

この日のお稽古では、受けが来てからではなく、

受けが来る前に取りが流れを作って、

その中で手を取らせて、技に入りました。

流れを作るには、闇雲に動くのではなく、

身体を整え、動きを整える必要があります。

そこに相手がやってくるので、楽に動くことができるのです。

といったようなことは、物理的な面からとらえた話ですが、

取らせるというのには、

心や意識の使い方が大きくかかわってきます。

気持ちの準備ができていない状態で手をつかまれたら、

「取られた」状態になりやすいでしょう。

そういった場合でも動じなければ、

それは「取らせた」と言えるでしょう。

流れの中だと取らせることがやりやすいのは、

すでに気持ちの準備ができた状態でいるからです。

もちろん、ただぼんやり動いていたり、

相手の手や、手順などに気を取られていれば、

結局は手は取られてしまいます。

身体の使い方と心の使い方、どちらも大事です。
2014-07-09 17:48 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
整える
2014年07月08日(火)
最近、わたしがお稽古で多用している言葉があります。

「整える」

呼吸を整える、気持ちを整える、

身体を整える、動きを整える。

合気道で大事なことの多くが、この言葉には集約されている、

今はそのように感じています。

それは、他の表現で言われていることも、

「整える」と言い換えることができることが多くあるからです。

たとえば、全身の緊張を均質にするとか、

詰まり強張りをなくすといったことは、

身体を整えると言い換えることができます。

動きに段差や濃淡をつけないというのは、動きを整える。

呼吸、気持ちを整えるのは、安定打坐につながります。

適切な間や間合いを取ることも、

時間的な場や空間的な場を整える、と言えます。

足踏みのことを言うときに、

技をやっているときの取り受けの間の位置関係だけではなく、

他の組とのバランスを取って道場を使うとか、

準備体操や呼吸法のとき、列や円になって並ぶときの

立ち位置のことも言われますが、

これはどれだけ視野を広く持って、

大きな場を考慮に入れて整えることができるのか、

それも最初の位置に居着かずに、

動的に場を整えることができるのか、

そういったことが問われているのだと思います。

他にも整えることが重要な場面は多くあるでしょう。

お稽古だけでなく日常でもそういう意識を持ってみると、

何かまた発見があるかもしれません。
2014-07-08 00:10 | 記事へ | コメント(0) |
| つれづれ |
「気持ちを透明にする」
2014年07月07日(月)
こんばんは、大松です。

「気持ちを透明にする」
これは、合気道を始めてから出会った、私のとても好きな言葉です。

私はヨガのインストラクターの仕事をしているのですが、
ヨガのレッスンの最後には必ず、“シャバアサナ(屍のポーズ)”
というお休みのポーズがあります。
仰向けになって手足を心地よく伸ばし、静かに目を閉じるポーズ。
このシャバアサナの時間、お休みの時間ではあるのですが、
実は瞑想状態を感じるための、とても重要な時間であったりします。

そしてこのシャバアサナの時に、
私はよく「気持ちを透明にする」という言葉を使います。
(合気道のお稽古では、呼吸操練のときによく聞きますね。)
シャバアサナの導入部分では、
「耳を、一番遠くの声を聴くような、柔らかい耳にする」よう
みなさんに促します。
「一番遠くの声を聞く」というのは、合気道のお稽古でも、
安定打坐のときによく意識することですが、
シャバアサナの時も同じように、
遠くの声でもふわりと耳に入ってくるような静かな状態にいるよう
意識すると、自ずと身体の力も心の力も抜け、
瞑想的な深いリラックスの状態に入りやすくなるのではないかと
思っているからです。

こうして心身ともにリラックスしたあと、
仕上げ(?)に、「気持ちを透明にして、丁寧に呼吸」するよう
みなさんに言葉をかけています。
最初は、「気持ちを透明にする」という言葉を使いたくて
言い始めたのですが(笑)、
今ではシャバアサナの、とても大切なスイッチになっています。

このように合気道のエッセンスを言葉も、
そして身体の使い方に関してもヨガのレッスンに
どんどん取り入れているこのごろなのですが、
この、「気持ちを透明にする」。
これって、いったいどういうことなのかなぁと思っていました。
単純には、「瞑想状態を作る」ということだと思うのですが、
それも実際、そういった状態を瞬間的に作るというのは、
わたしごときからすると、かなりの達人技です。

どんな感じかわからないけど、なんとなくイメージは出来るなぁ。
とてもクリアな感じがする。
その程度の理解でした。

そして、最近なんとなーく、こうじゃないかなぁと思うのは、
この「気持ちを透明にする」というのは、「素直になる」、
ということなんじゃないかなぁということです。
あるがままを受け入れ、あるがままでいること。
こころのフィルターを出来るだけ外すこと。
作らないこと。自然でいること。。。
そう思うと、合気道の型稽古をするときも、
「気持ちを透明にする」
これは本当に大切な事なのだなぁとしみじみ思ったのでした。
お稽古の時以外でも、丁寧に意識しながら、日常を過ごしたいなぁと思います。
2014-07-07 23:18 | 記事へ | コメント(0) |
聞くこと
2014年07月06日(日)
受けは聞くことに、聞くことのは受けに通じると、

昨日の記事で書きましたが、

受けに限らず、

聞くことは他のことにも関係しているように思います。

準備体操のときには、身体の声を聞きながらやりましょうと、

わたしはよく言います。

阿吽の呼吸をするときに、全身をスキャンする、と

内田先生は言われますが、

これも身体の状態を聞きとっていると言えるでしょう。

準備体操や呼吸法のときだけでなく、

技のお稽古をしているときも、

あるいは、技のお稽古をしているときにこそ、

身体の声に耳を澄ませたいです。

そして、身体の声だけでなく、

心の声にも耳を傾けたいものです。

合気道のお稽古は、心のお稽古である、

というのはよく言われます。

慌てない、とらわれない、あるがままでいる、

そういったことができるようになるには、

まずは自分の心の状態に気づくことが必要です。

身体の状態、心の状態に、耳を傾ける。

そして、技のお稽古では相手がいます。

取りをするにしろ、受けをするにしろ、

相手のことを聞くことが大事です。

(聞かないことが要求されることもありますが、

それも聞けることが前提であると思います。)

自分が、自分が、となる前に、

まずは聞くことから始めるよう

心がけたいです。
2014-07-06 01:05 | 記事へ | コメント(0) |
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