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2013年7月15日(月) 王子道場
2013年07月15日(月)
この日もテーマにしたのは「流れ」でした。

流れのきっかけを与えるのは取りですが、

それに受けが応じたのちは、

流れが主で、道筋を通して行くのが取り、

共に導かれるのが受けになります。

流れができるのは、

取りも受けも気持ちを出し合うからで、

どちらかの出し分が少なかったり、

明後日の方向を向いていては、流れが消えてしまいます。

もしくは、現れません。

取り受けが気持ちを出し合い、

それを正中に捉えようとし続けることで流れができ、

それを感じ続けることで流れが通っていく。

取りがたまたまより整った態勢にあるため、

道筋の通し手になっているのであり、

何かのきっかけで反転しうるような関係に

取り受けはあり続けます。

そういった関係を支えるのは敏感さです。

敏感でいなければ、成り立たないことだらけ、

と言ってもいいかもしれません。

そして敏感でいるためには柔軟であることが必要です。

感度を上げると柔軟になる、とも言えるかもしれません。

そのためには、伸び伸びにこにこ、なのですが、

今日は少し必死になってしまった

わたしがいたように思います^^;

もっと大らかな空間を作れるよう努力いたしますー!
2013-07-15 21:10 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2013年7月12日(金) 西宮道場
2013年07月14日(日)
合気道を始めたころには全く分からなかったことで、

最近になって少しずつ分かるようになったことがあります。

そのひとつに、先生が前で演武をされているときに、

目で追いかけるのではなく、体感を揃えていく

というのがあります。

先生の筋肉の張りだとか、畳の踏みしめ具合だとか、

受けから伝わってきている、受けに伝えている触感とか、

そういったものを自分の中に再現しながら見る。

そんなことを言われても、

ほいっとできるほどのセンスなどないので、

いったいどうすればそのようなことができるのか

見当もつかないままでしたが、

お稽古を重ねるにつれ、何となくそんな感じというのが

少しずつ育ってくるというか、養われてきたように思います。

そうなってきたのは、

始めてすぐのころから先生の言葉を聞いていて、

そういうものなのだ、というのがずっと残っていたからこそ、

種がまかれていたからこそ、芽が出たように思えるのです。

本筋を示してもらえる、というのがどれほど大事なことか。

そんなことを噛みしめつつ、

日々のお稽古に臨みたいと思うのです。
2013-07-14 19:56 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2013年7月11日(木) 王子道場
この日のお稽古では「流れ」を意識しました。

いつもは手順や技のポイントを中心に説明するため、

点をつないだような技になってしまいがちです。

技の勘どころ(質の転換点)というのがあり、

また流れの濃淡のようなものはあるのですが、

全体の流れは一続き、一息になります。

その流れは、取りが生みだす(汲みだす)ものであり、

始まりと終わりは無限遠にあるように思います。

取り受けともに、

その流れを邪魔しないような身体運用が必要で、

そこで大事になってくるのが、足踏みです。

足踏み、つまりは方向も含めた空間的な位置取りです。

足踏みは視覚的な感覚ではなく、

皮膚感覚によって決まってくるもので、

そういう感覚を養うためにお稽古をしています。

そのような感覚が鋭いか鈍いかは、

礼をするときに並んだり、円になったり、

体操をするときに道場に広がったりするときに

よく分かります。

人数が多いときに前後に重なって体操していたり、

後から人が増えてきても、最初にいた位置に留まり続けたり、

それは、その場に生じている濃淡を感じて、

それが気持ちよく整うように動くということができない

ということで、

なんというか極端に言うと、致命的なことのように思えます。

などと書いているわたしも、鈍いです^^;

少しでもそういう感覚が養っていけるよう

そこを意識してお稽古を重ねていこうと思います。
2013-07-14 19:06 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2013年7月10日(水) 尼崎道場
この日のお稽古でやった天地投げでは、

地に向かって伸ばす手の使い方の説明で、

「少し向こうに落ちている何かを拾うつもりで」

という表現を使いました。

最近の凱風館でのお稽古でも内田先生が

「外部化」の比喩を使われていますし、

昨日(7/13)の韓氏意拳の講習会でも「内を見ない」

ということが言われていました。

そうすることによって、何が起こっているのか

分からないのですが、

そうすることによって明らかな違いが出ます。

他にも、なんでそんなことを?ということがあるのですが、

それを素直にすっとやってみようとすることが大事です。

気持ちの柔らかさというのでしょうか。

気持ちの柔らかさが、動きの柔らかさにつながります。

身体の詰まり強張りは、気持ちが作り出していることが

多いのではないかと思っています。

わたしたちは、身も心も開放できるようなお稽古を

目指しています♪
2013-07-14 18:48 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
凱風館での代稽古(初)
2013年07月09日(火)
楽しみで楽しみで夜ほとんど眠れぬままの

早朝の代稽古でした。

やりたいことを全部盛ると時間が足りないし、

ポイントがぼけるので、

やってみて最初に出てきたものを

なるべく通しでできればいいなくらいの準備で臨みました。

出てきたのは、丹田を中心に動く、でした。

腕を使うときは、丹田から伸びている腕を動かす、

丹田から指先まで気を通す、とか、そういったこと。

あるいは、気の結びを、取り受けともに丹田で捉え続けること。

そのあたりに注意していると、

気の結びがより明確に意識できるようになります。

さらに気の結びを大事にするために、

手をなるべく掴まずに触れるだけで通しました。

普段のお稽古ではあまりやらないことや、

テーマの中心にならないことなども多く、

戸惑われた方も見受けられました。

一応、わたしの中で一番ホットなテーマってことで

ご勘弁を(笑)。

もちろん普段やっているお稽古と

密接な関係があると思っています。

お稽古の趣旨も説明しながらさせていただきました。

少し変ったお稽古だったかもしれませんが、

何か伝わるものがあったならば嬉しいです。

わたし自身はといえば、めちゃめちゃ楽しかったです(笑)。

受けを取って下さった方ともぴたっと合いましたし、

喜んでいろいろやって下さった方も多かったからでは、

などと勝手に思っています。

本当に貴重な機会をいただき、よい経験ができました。

ありがとうございました!
2013-07-09 23:04 | 記事へ | コメント(0) |
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