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ニックネーム:ささの葉合気会
道場長の篠原です

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2014年7月17日(木)〜7月18日(金)
2014年07月20日(日)
この間のお稽古は、王子、加古川、西宮でした。

お稽古はとても創造的なもので、

お稽古をやっているその場そのときに、

次々と何かが生まれてくるものだと

わたしは思っています。

しかもそれは、自分一人で創造するのではなく、

道場でお稽古する全員とで成されます。

全員で創るもの、各々が創るもの、両方があるでしょう。


わたしは、ささの葉のお稽古では、

前で指導する立場でお稽古しています。

その日の参加者の顔ぶれで、やるお稽古も変わってきますし、

前で受けを取ってもらう方との間で感じたことで

何かが生まれることもあります。

お稽古が進むうちに、みなさんの様子を見ていて、

そこで感じたことによってもお稽古は変化していきます。


一方、甲南合気会でわたしがお稽古するときは、

内田先生のご指導のもとでのお稽古になります。

先生が創ってくださる場に全てを委ねるとともに、

自身の課題もあるので、

先生の説明を聞き、身体を動かすことによって、

先生との対話のもとに生まれてくるものがあります。

組んだ相手の方との間で創られるものも、

もちろんあります。


さまざまな場面でそうしたものが生まれる場は、

やはり清浄に保つ必要があるでしょう。

物理的にもそうですが、

楽しい雰囲気でやるなかにも

ざわつかない落ち着いた状態で

お稽古に臨みたいと考えています。
2014-07-20 08:31 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2014年7月16日(水) 尼崎道場一部・二部
2014年07月17日(木)
手は自分の前でとか、体軸を傾けないだとか、

詰まり強張りがないようにとか、

いろいろと言われます。

それができているかどうかというのは、

他の人に見てもらったり、

撮影して後から見るということもできるでしょうけど、

普段は、やっているその場で自分で確認することになります。

となると、焦っていたり、闇雲にやっていたり、

技をかけることに必死になっていたり、

つまりは気持ちが整っていなければ、

そのようなお稽古はできないということになります。

身体のお稽古以上に大事なのが、

心、気持ちのお稽古です。

日常で、合気道の技が役に立つ場面と言うのは、

なかなかないと思います。

しかし、気持ちの使い方というのは、

日常すべてに関わってくるものです。

日ごろから心がける、道場でも心がける、

24時間お稽古です。
2014-07-17 00:00 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2014年7月11日(金) 西宮道場
2014年07月14日(月)
この日は、肩取り面打ちという取り手でお稽古しました。

この取り手は、いわば応用の取り手になるので、

お稽古を始めて年数の浅い人ばかりのささの葉のお稽古では

今までやったことがなく、

全員、お稽古では初めての取り手となりました。

もちろん、全員が年数が少ないといっても、

その中で経験の差はあり、

当たり前と言えば当たり前なのですが、

経験の長い人ほど、戸惑いが少ないように見受けました。

お稽古ではいろいろな技をやりますが、

出てくる技をひとつひとつバラバラに覚えていては

追いつきません。

それぞれの技の共通部分であったり法則であったり、

そのようなものを発見し、

さらにそれを洗練させていくことが必要です。

長くお稽古をやっていくと、そのようなことが

できるようになっていきます。

それゆえ、やったことのない技でも、

戸惑いが少なくなるのだと思います。

長く長くお稽古を重ね、法則が究極に洗練されると、

それはただ一つになるのではないかと、

わたしは想像しています。

そしてそれをまたそれぞれの技に返していく。

同じようなことを高段の先生がおっしゃっているのを

聞いたことがあります

(表現が難しかったので解釈違いかもしれませんが)。

お稽古をするときは、そんなことを頭に置いておいて、

それぞれの技をみれるようにしたいです。
2014-07-14 22:16 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2014年7月10日(木) 王子道場・加古川道場
2014年07月11日(金)
受けが大事、受けのときにたくさん学ぶ、など

何度も繰り返し言っていて、

具体的にどうするのかということにも

お稽古で触れてはいるのですが、

どうしても取りのときにどうするのかというほうに

目がいきがちなように見受けられます。

まずは、取りのとき以上に、

受けのときに集中してやってみてはどうでしょうか。

というより、

実際に受けのときのほうが集中が必要です。

取りは動きを主導する立場にありますが、

受けはそれに応じて動く側で、

つまりは先が見えない中で動かなければなりません。

先回りして動くのは、先受けといって、

お稽古では、やる技が決まっているから何事も起こりませんが、

本来は非常に危険なことですし、

取りの人の気づきや発見の妨げになります。

基本は、気の結びを正中にとらえ、

詰まり強張りができないように動く、

ということになりますが

(これ、取りのときも同じです)、

具体的にどうするかは、お稽古中の話を聞き、

いろいろ試行錯誤して、分からなければ質問し、

ということを繰り返して習得してください。

お稽古の優先順は、受け、取り、教える、

だと思っておいてもらえばいいでしょう。

教えることはよい稽古になりますし、

相手が困っているなら、しっかり教えてあげて欲しいですが、

そのときも受けが疎かにならないよう

いつも以上に注意してください。

どうぞ自分のお稽古を大事にしてください。
2014-07-11 00:02 | 記事へ | コメント(0) |
| お稽古雑感 |
2014年7月9日(水) 尼崎道場
2014年07月09日(水)
この日のお稽古は一部のみ。

流れの中で受けに手を取らせることがテーマでした。

手は取られるのではなく、取らせる、とよく言われます。

取られると取らせるとの違いには、

もちろん物理的な違いもあるでしょう。

手のどの位置をどの角度で取らせるか、

取らせた位置と自分の身体、相手の身体との位置関係、

その違いによって、自分の力の出しやすさ、

相手の力の出しやすさが変わってきます。

自分が有利になるなら、それは取らせたと言えるかもしれません。

この日のお稽古では、受けが来てからではなく、

受けが来る前に取りが流れを作って、

その中で手を取らせて、技に入りました。

流れを作るには、闇雲に動くのではなく、

身体を整え、動きを整える必要があります。

そこに相手がやってくるので、楽に動くことができるのです。

といったようなことは、物理的な面からとらえた話ですが、

取らせるというのには、

心や意識の使い方が大きくかかわってきます。

気持ちの準備ができていない状態で手をつかまれたら、

「取られた」状態になりやすいでしょう。

そういった場合でも動じなければ、

それは「取らせた」と言えるでしょう。

流れの中だと取らせることがやりやすいのは、

すでに気持ちの準備ができた状態でいるからです。

もちろん、ただぼんやり動いていたり、

相手の手や、手順などに気を取られていれば、

結局は手は取られてしまいます。

身体の使い方と心の使い方、どちらも大事です。
2014-07-09 17:48 | 記事へ | コメント(0) |
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